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「リヴァイアサン」 ポール・オースター

とても哀しく、やさしく、切なく、人らしい話だった。ポール・オースターは本当に人を書くのが上手い。

1990年のある日に1人の男が郊外の道端で謎の爆死を遂げる。身元を示すものを何一つ身につけていなかった男の財布からは唯一、ひとりの作家の電話番号のメモが見つかった。
当の作家、ピーター・エアロンは謎の男との関係を否定するが、本当は男の正体に気づいていた。サックス。彼はかつての親友であるベンジャミン・サックスに違いなかった。
ピーターは世間にサックスの名前と素性が知られる前に、そして誤解と勝手な推測が広まる前に、自身が知るサックスのこと、その過去と現在と思想と行動のすべてを紙に記録し始める。

そうしてピーターの記録した物語は、しかしサックスのみの物語とはなりえない。それを語るピーターの人生はサックスのものと深く絡み合っており、ピーターの別れた妻や子供、サックスの妻ファニー、エキセントリックな写真家であり芸術家であるマリア・ターナー、その幼馴染で美貌の未亡人、激しく気まぐれで恐れを知らず不遜でかつ寂しがりやのリリアン、その娘のマリア。ピーターの二人目の妻アイリス。これらの個性的な人物が、それぞれに複雑な関係を築きながら、おそろしく精緻で運命めいた偶然のつながりに引き寄せられるようにして、止めようのないサックスの爆死という一点にむかって収束していく。

運命めいたといったが、それは決して予め定まった結末ではなかった。それぞれが単独では何の意味もない事実がいくつも重なり合うことで、まるで意思あるもののごとくに振る舞い、人を動かしていくこと。そのことこそが恐ろしく、そして哀しい現実であるのだと思う。
ポール・オースターの書く人物とその物語は常にどこか哀切に満ちている。それはおそらく、物語の底辺の部分に諦観が潜んでいるからだ。彼らはすべて自分の意志によって行動している。誰かに不当に操られたりはしていない。しかしそれでも、どうしても避けえない結末が訪れる。それは必ずしも当人たちにとっての不幸であるとは限らない。それでもその「避け得ない」ということ自体が、善でも悪でもない現実の残酷性を示しているとは言えないか。

しかし本書は決して現実の暗黒面のみを物語るものではない。サックスは死んだ。しかしピーターの書いた記録は残る。サックスが何を思い、何のために行動し、そうして死んでいったのか、ピーターは知っているし、彼の記録を読む者たちにも伝わるだろう。しかし本当はそれすらも残らなくて構わない。サックスは、ピーターは、そして彼らをとりまく何人もの女たちは、すべからく鮮烈に生きていたのだし、それが誰に知られようと知られまいと、そのこと自体に意義がある。
この物語の最後にピーターは、思いがけないサックスからのメッセージを受け取るが、ピーターがそれを知ることで得た感情の温度はすべての記録、記憶に優先する。
彼らの長い友情は意味あるものだったのだと、泣きたいような気持ちで納得をする。
by agco | 2004-09-09 23:55 | その他創作
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あまりに自分の忘却力がすごすぎるので、面白かったものも面白くなかったものも、とりあえず読んだ本の感想を全部記録してみることにしました。コメントなどありましたらご自由にどうぞ。
by agco
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