カテゴリ:ノンフィクション( 16 )

「植物たちの秘密の言葉 ふれあいの生命誌」 ジャン=マリー・ペルト

フランスの植物学者による、非常に興味深い植物のお話。
決して超科学にはならず、サイエンスの領域で実際に観察され、考察されている植物たちの生態のふしぎを、公正にして明朗な視点からやさしく語っている。
静的で言葉を持たないと思われている植物が、かなり動的に活動し、匂い(揮発性の化学物質)を用いて相互にコミュニケーションまでしているという事実は感嘆に値する。植物と動物のあいだには実のところは大きな違いなどはないのだと思わせてくれる。
ふとした日常の中で見かける光景にさえ、新たな意味をつけくわえてくれる、良書だと思います。
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by agco | 2006-03-10 22:40 | ノンフィクション

「自閉症だったわたしへ」 ドナ・ウィリアムズ

自らが自閉症である作者が、幼い頃からの経験を仔細に書き綴った本。
「自閉症だった」といわれると、まるで現在はそうではないみたいだが、今でも作者は自閉症なのであり、色々と大変な思いをしながら生きていらっしゃるらしい。
そうでない人間の目からは理解しがたく見える自閉症の人たちの行動が、いかなる心理によって発生しているものなのかが本書を読むとよくわかる。そこにはきちんと法則があり、単にそれは<わたしたち>のものとは異なっているだけなのだ。
圧倒的に少数派である彼らは、社会の中ではとても生きにくい。生まれた時から互いに意思疎通のできない異星人の中で育てられているようなものだ。大変だなあ…。

しかし本書は幼少時からの作者の体験を実に克明に書き記してあり、作者のその記憶力の良さにはほとほと感心する。物心がついたかつかないかの年齢の頃に、自分が世界をどのように見ていたかという記憶なんて普通ありますか。わたしにはありません。それどころか、一年前の出来事でも、よほど印象深くなければ覚えていません。いやいや印象深かったことすら忘れます。ほとんど逐次的記憶喪失です。
作者の偉大な記憶力は、彼女の自閉症という状態と関係があるのかないのか知れないが、本書の実に堂々とした文章や構成力を見ても、彼女の高い知性は疑えない。
……でもこの文章、もしかして原文だと少し不思議な文章だったりするのかな。翻訳の段階で直されていたりするのかな。
ハイスクール時代には文章の書き方を知らず、名詞をすべて大文字ではじめ、読みやすいようにと5文字ごとにカンマを打っていたというような人間が、そこから十年ほどでパーフェクトな英文を書けるようになるものなんだろうか。

なんにせよ興味深い本であった。
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by agco | 2005-07-15 23:53 | ノンフィクション

「記憶のメカニズム ニューロン・AI・哲学」 ジョージ・ジョンソン

タイトルにもあるように本書は、ニューロン(脳神経科学)・AI(コンピュータシミュレーションを用いた工学的手法)・哲学という三者三様の観点/手法から、記憶のメカニズムについて迫るものである。
歴史的な概念や手法の変遷を追いかけている内容なので、科学の本と言うよりは伝記的な印象だ。理論の進歩も面白いが、それよりも謎の解明に携わっている科学者たちのそれぞれに個性的な奇妙な性格の方が頭に残る。学者というのは変人である方が他人事としては面白い。
どういう人が書いているのかと思ったら、作者は当事者である科学者ではなく、ジャーナリストだった。納得。だからこうも客観的な視点で書けるのか。
この本が出版された当時、記憶や脳の働きについてどれくらいの事実が判明し、どのような仮説が立てられていたのかはかなり詳しくわかったが、なんといっても本書の出版は95年。10年も前の話である。
10年たてばサイエンスの世界は大きく変わるに違いない。その後のことを書いた詳しい本が読んでみたいものである。
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by agco | 2005-07-04 23:44 | ノンフィクション

「記憶を書きかえる 多重人格と心のメカニズム」 イアン・ハッキング

多重人格とはいかなるものか、その症例がはじめて報告された頃から現在にいたるまでを、非常に広い視野から辛口に分析する本。
その語り口は辛口というより、もはや辛辣の域へと達していて、この人はこんなに暴言を吐いて業界から総スカンを食らったりしないのかしらと心配になるほどだが、幸いなことに(?)筆者は医者でもカウンセラーでもなく哲学家なのだそう。ならば安心。(なのか?)
辛辣といっても、何もかもに噛み付いている訳ではなく、用語の用い方や過去の文献の引用の仕方に対して厳密さを求めているだけで、むしろその態度は学者としては正しいはずだ。

本書を読んでわかったことは、多重人格という精神病の症例が、決して単なる個人の精神の異常ではなく、社会のあり方と密接に関係しているものであるということだ。
最初の多重人格の症例の報告は18世紀の後半であるが、当時はそれは<多重人格>とは認識されておらず、躁鬱病の極端なもののように思われていた。それが明らかに異なる複数の人格の様相を患者が見せ始め、<二重人格>という発想が生まれ、それがあるとき二重を越える<多重人格>へと発展し、やがてはひとりの人間の中に100もの人格断片が認められることまでが起きるようになった。
それはカウンセラーや医師の側の認識の変化によって導き出された症状でもあるが、それ以前に物語や風説によって、患者の側に事前に多重人格という症状に対する知識が存在し、どのように振舞えばいいのかを患者が知っているから症例が増えるともいえる。
しかしそれはすべての多重人格者が偽者だということを意味しない。患者が自らの異常を外部に訴えるためにいかなる手段を用いるかの、ひとつの可能性を社会は提供したにすぎない。
そして、この異常が何を原因として発生するかということについても、社会情勢の変化は色濃くその影響を落としている。
過去にはそれはヒステリーの産物だといわれた。それが後には戦争の後遺症だといわれ、現在では幼児虐待が遠因だということになっている。
しかしこの幼児虐待という用語そのものが、過去には存在しなかった。セクハラと同じで、ある頃から一線が引かれ、こういう態度はいけないと過大なまでに声を大きくして叫ばれるようになっている。
確かに幼児虐待はいけないことだ。誰に聞いてもそれは良くないという答えが返ってくるだろう。不快で陰惨な犯罪である。しかしそれが多重人格の原因であると、大人になってから自らの親を訴える子供たちは、果たして自らの過去を正しく思い出しているのか。
記憶とはあいまいなものである。催眠術などを用いて思い出される記憶というものの信憑性の疑わしさは、あえて語るまでもないが、それにも増して長い年月が経過した後の<過去>そのものの文脈が、現在とは異なってしまっている。
現在では犯罪とされるようなある種の行為が過去のある時代においてはまったく犯罪ではなかった。そんなことは往々にしてある。
日々、人の記憶は書き換えられる。
そして同時に社会というもの、ひいては時代というものも刻々と移り変わる。
多重人格というものの取り扱いも、そうした中で決して一定ではなく、流行もあれば廃れもする。
時代時代の文脈を読み解かなければ、こうした精神医学上の症例も、その本質を理解することはかなわない。

まとめるとこんな感じですかね。面白かったけど、長い本でした。
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by agco | 2005-06-22 23:21 | ノンフィクション

「生存する脳 心と脳と身体の神秘」 アントニオ・R・ダマシオ

本書の原題は「Descartes' Error(デカルトの誤り)」といいます。
ではデカルトは何を誤っていたのかといえば、本書で問題とされているのはかの有名なあの一言。

我思う、ゆえに我あり。

あれですよ。この語句をデカルトは、身体と心は完全に別物であり、身体がなくても精神は精神として存在が可能であり、その精神こそが「我」なのであるという意味で用いた。
本書はそれにまったをかけ、デカルトの二元論がその後の精神科学界に与えた影響を正し、精神(意識あるいは自己)は身体をともなってこそ存在し、情動や感情も、その成り立ちや役割は、神経学的プロセスから十分に説明されうる現象であることを主張する。
実際の臨床的な脳損傷患者の症例を多く用いた、わかりやすく、興味深い本である。

ちょっと関係のないことであるが、ジャスペロダス@「ロボットの魂」には本書を読ませたい。
この著者の主張を信じるならば、ロボットであってもその構造によっては、意識を持つことは可能になりそうだから。

意識とは何か、自我とはいかなるものか、それはまだ十分に解明されたとはいえない。しかし本書の著者のアプローチは十分に評価されるべき精密さを含んでおり、科学的な視点から形而上的と思われていた事項を解明しようとする意欲的な試みである。
それは決して魂なるものを低次元に引き下ろそうとするものではないし、神経学的にその構造が解明されたとしても、人の精神の働きの気高さも重要性も損なわれることはない。

身体と脳は密接にかかわりあっており、相互に干渉しあいながら複雑なプロセスの結果、ひとつの柔軟な反応の体系を作り出している。
身体がなければ「自己」は存在できない。
その主張は、わたしにはなかなか納得のいくものでした。
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by agco | 2005-06-10 14:22 | ノンフィクション

「意識とはなにか ―<私>を生成する脳」 茂木健一郎

意識とはなにかという命題に対して、現在の脳科学では皆目わかりませんという答えが2ページ目にして明快にわかってしまう恐るべき本。
しかしそれでは身も蓋もないため、われわれの脳が物を判断するときに、どのような方法をとっているのかということが、延々と論じられている。……でも正直いって、だからなんだという感じが抜けない。結論はやはり、「意識とはなんなのか、さっぱりわかりません」に尽きる。
本書で最も印象に残ったのは、あのチューリングテストで有名なチューリングは、実は性同一性障害で苦しんでおり、チューリングテストも元々は、「機械が人間のふりをできるか」というのではなく、「人間の男が人間の女のふりをできるか」というものを試すものであったらしいということだ。その後チューリングは自殺を遂げているのだとか。知らなかった…。
しかしまあそんなことは本題とは関係がない。
勉強になったのか、ならなかったのか、わからない本だった。
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by agco | 2005-05-27 19:06 | ノンフィクション

歯医者関係3点

いい歯医者 悪い歯医者」 林晋哉、林裕之
歯医者のぼくが怖くて歯医者に行けない理由」 谷口清
あなたは歯医者に殺される!? 間違いだらけの歯医者選び」 歯科医療患者を救う会/デンタル総合研究所編

怖い本を読みすぎてすっかり歯医者不信です(笑)
でもやっぱりヤブなんじゃないかという気がする、まだ通っているイケメン歯科医S。別に診療自体がへたくそだというんじゃないんだけど、だってあの人、治療するときに手袋してないし! 治療台がなんかあんまり奇麗じゃないし。滅菌した医療器具使ってる様子ないし。医者ひとりなのに診察台が三台もあって、奥には手術室もあるみたいだし! 口内写真とらないし、インフォームドコンセントは不完全だし、なんか爽やかな笑顔がうさんくさいし(偏見)。
でもここに限った話ではなく、今までに通ったことのある何件もの歯科医も、上記の本を読む限り、合格点だったところはないようです。だめじゃん歯医者。
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by agco | 2005-04-16 21:22 | ノンフィクション

「文政十一年のスパイ合戦 検証・謎のシーボルト事件」 秦新二

海外で新たに発見された資料を読み解き、既存の定説にとらわれず、シーボルト事件の真相を詳細に追求した本書は、ノンフィクションでありながら良質のミステリを思わせる内容である。
シーボルトは本当はスパイであったのか否かという表面的な問題ばかりではなく、事件の裏に隠されたオランダの意図、日本国の真の目的、これまで考えられていたものとはかなり違った人々の動きが資料に基づき、綿密に検証されている。
100%鵜呑みにするのは少し危険かもしれないが、なかなか説得力がある。
しかし、この本を読んでいると、むらむらとシーボルトが嫌いになってくるので困った。(困ることはない?) いや、別に、スパイ行為をしたとかしないとかいうことはどうでもいいのだ。ただこのシーボルトという人は、実に有能な人物であったらしいのだが、恵まれた環境でつまずきひとつなく大人になってしまったせいか、非常に無自覚に傲慢な人なのである。本書に翻訳されているシーボルトの手紙の文章をそのまま信じるのなら、彼は自分が有能であることを知っており、自信家であり、なおかつ己を善良で公平だと思っている。もちろん翻訳の過程で、微妙に原文のニュアンスが変えられてしまうことはあるだろうから、ここで受けた印象をそのまま信じてはいけないのかもしれない。しかし、それにしたって嫌な男だ。おまえのような奴はでっかく挫折して一度苦労を経験してこいと願ってしまうが、事実シーボルト事件によって彼は大変な辛酸をなめることになるわけだから、世の中は上手くできている。

ところで本書はノンフィクションでありながら、日本推理作家協会賞なんか受賞していて、不思議な感じだ。推理…は、確かにしているが、推理ならなんでもいいのか、そうか。
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by agco | 2005-03-16 23:31 | ノンフィクション

「コーヒーに憑かれた男たち」 嶋中労

本書は、文字通りコーヒーに憑かれた三人の男たち、そしてプラス1の、厳しいこだわりと信念に満ちた人生の記録です。
コーヒーと一言でいってもそこには様々な手法や好みがあって、決して画一的なものではありません。同じ名前で呼ぶのが不思議なほどに、分化し、相異なってしまっております。それでも、各々これが最高であると信じた味覚を追求する姿勢は本物であり、その真摯さは一種悲壮なほどの己を律する規範となって、妥協を許さないのです。
もはやこれはコーヒーに関する薀蓄話の域を超えて、数奇な人生のドラマであり伝説であります。
コーヒー屋の御三家は銀座と山谷(南千住)と吉祥寺にあるんですって。でも吉祥寺のお店は現在豆の販売のみで喫茶はなし。…残念。一番行きやすそうな場所なのに。
せめて豆だけでも、今度買ってきて飲んでみようと心に誓ってみました。
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by agco | 2005-03-10 21:54 | ノンフィクション

「私は「初診料10万円」の歯医者です」 谷口清

金儲け主義に陥り、医者の倫理を見失うこと甚だしい歯医者の世界に見切りをつけて、堂々と自ら日本歯科医師会を脱会。保健医療をやめ、高い治療費を請求するが、決して患者に対して手を抜かず、よほどのことがなければ歯も抜かず、一日で治療を完了させる。
そんな歯科医師界の一匹狼、自称・歯科版ブラックジャックの谷口清先生が、歯に衣着せぬ物言いで、ざっくざっくと歯科治療の実態を切る、切る、切りまくる。
いかにして自らが現在の治療のスタイルにたどりついたか、歯医者の倫理とは、ダメな歯医者はどのようにして悪徳治療で設けているのか、どんな治療が危険であるのか。
そんなことが分かりやすく書かれており、いろいろと勉強になる一冊である。

そう、歯医者。そこは恐怖と幻惑の地。
大体、入ってみなきゃ、そこがヤブなのかいい医者なのかもわからない。近所の歯医者のどこが名医であるのか、周囲に評価を聞いてまわるのも難しい。代々地域に住み着いている地元民ならともかく、賃貸のマンションなんかに住んでいて、隣近所とつきあいがないとなおさらだ。
というわけで、半ば崖から飛び降りるような気持ちで先日近くの歯医者に行ったのですが、この歯医者がなんというかとても胡散臭い。
医院は新しく奇麗で、敷地は広く駐車場もでかく、周囲の庭も立派である。歯科医は1人だけ(多分)なのだが、その院長先生というのが非常に若い。三十代前半くらいかと思うが、下手したら二十代後半かもしれない。竹内豊をもう少しワイルドにした感じのいわゆるイケメンだ。太い眉につぶらな瞳、爽やかにして快活。そしてそのお名前が、もう笑っちゃうくらいにキラキラしい。月9あたりにそのまま登場しても違和感ないと思われる。受付嬢は若くて美人だし、車はランドローバーだ。これで趣味はスキューバですとか言われたら完璧だと思うが、さすがに先生にむかって趣味を尋ねる度胸はわたしにはない。
まあそんなわけで、なんとも胡散臭い歯医者なのである。こんな完璧な歯医者なんて嘘だ、これだけ条件揃っているなら、せめて爽やかそうな外見の裏で性格がめっちゃ曲がっているとか、そんな人間的な愛らしさを持ち合わせてもらいたい。
あるいは、超ヤブであるとかだ。

本書を読んだ動機というのは、そういうわけで非常に不純である。自分が今かかっている先生の粗探しをしようというのだ。嫌な患者でごめんなさい。
しかし、本書に書かれたダメ医者の条件と照らし合わせてみると、結果はなかなか微妙である。いいような、悪いような。しかしまだ決定的に悪いというほどのことはされていない様子。むしろ、根管治療をちゃんとやってくれているようだから、いい医者のほうに入るかもしれない。
ぬうう納得いかぬ。次の治療の時には、この本で得た知識をもとに、目を皿のようにして先生の行動を観察してこようと思う。←迷惑な患者!
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by agco | 2005-03-09 23:08 | ノンフィクション



あまりに自分の忘却力がすごすぎるので、面白かったものも面白くなかったものも、とりあえず読んだ本の感想を全部記録してみることにしました。コメントなどありましたらご自由にどうぞ。
by agco
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