のっけから人がバリバリと死んでいくので、何か芸風変えたのか伊坂幸太郎、とびっくりしました。いや、人が死ぬだけならそんなに驚きはしないのですが、その死に様という奴が結構克明に書かれておりまして、そのことが珍しかったのです。
文章自体は淡々と、特に感情も交えずに淡々と表現されていて、なので生々しさはありません。でもこの人が死んでいるのに淡々とした感じという奴は、少し曲者だと思う。 本書が伊坂幸太郎の最新刊となり、今後しばらく読むことはないだろうから今までの6冊の分も総括していいますと、この作者の書く物語の中に出てくる「悪人」は、改心の余地がないほどの、本当に徹底とした悪い人なのです。何をどう言葉を尽くしても、自分のやったことを悪かったとは思ってくれなさそう。だからこそ、もうそういう相手は殺すしかないという論法が成り立ち、それを誰か「善人」が実行しても、読者の側では罪悪感などは感じない。 でもそれは純然たる殺人なんですよ。普通に考えれば刑務所行きです。 読者ばかりでなく、伊坂幸太郎の書くところの登場人物たち、人を殺してしまった人たち(未遂の場合もある)も、やはりそのことに罪悪感はほとんど感じません。しかし自分の犯した行為が殺人だということは理解しています。 でも彼らは警察に捕まらないし、裁判を受けないし、刑務所にも行かない。 なぜか。 そうした社会の定めたルールに従う前に、「死」という決定的な手段で逃れ去ってしまうからです。 作者はきっと、その善人である殺人者たちを刑務所行きにはさせたくないのだろうなあと思います。悪いことをしたとはいえ、心情的には彼らは正義を行ったのだから。でもだからって、あっさり死へと逃亡させすぎだ。段々そう思えるようになってきました。 物語の作風といってしまえばそれまでなんですが、罪悪感を感じずに人を殺すということ、その実感のなさは危険です。たとえどんな悪い奴、嫌な奴を殺す時でも、心理的には「悪を討つ」だったとしてさえ、実際にナイフを突き刺すときや、相手の血が流れるのを目にした時には、生理的な嫌悪感があってしかるべきかと思います。 そういうものを徹底的に排除してしまったことが、結果的には伊坂幸太郎の首を絞めているんじゃないかと。限界を与えてしまっているんじゃないかと。 それが、この「グラスホッパー」という本を読んで、ものすごく感じてしまったことでした。 様々な魅力の光る作者ですが、今のところ出版されている7冊を読んだ中で、一番好きだったのは「ラッシュライフ」。次が大穴?「チルドレン」。最下位が本書「グラスホッパー」。ブービー賞が「アヒルと鴨のコインロッカー」かな。 「グラスホッパー」 伊坂幸太郎
by agco
| 2004-12-14 23:14
| ミステリ
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